先日、「常識的におかしい」の常識って誰の常識?という記事をアップしましたが、
これ、実はわたしがずっとかかえていた悩みだったんです。
社会人になってからずっと、
「ガイジン」(→不快な用語かもしれませんが実際に言われていた言葉なのでそのままで失礼します)、「アメリカ人」「イタリア人」「宇宙人」
いろいろなお国の方に例えられてきました。
顔はかなり平たい顔族なので、和風なのですが。笑
これはもちろん、見た目のことではなく性格のこと。
空気を読まない。思ったことを発言する。数字(結果)にこだわる。利益にこだわる。最短でできる方法を選ぶ。効率が悪いことが嫌い。などなど、立場と馴れ合いと前例をヨシとする、地方のムラ社会的な組織にはあまりなじまない性格だったようです。
わたしも、入社当時から、まわりから発せられる「あなたは人とは違う」という雰囲気に違和感を感じ、ここは自分の居場所じゃないかもしれないというわだかまりをずっとかかえていました。
最初は「常識的じゃない」「前例がない」と会社の人から言われるたびに、ものすごい反発心が生まれていました。
だから、この会社はダメなんだ。業界内の前例を追いかけていたら、二番煎じで成功できるわけがない、と息巻いていた部分もあります。
でも、こちらの世界の考え方を知って、
自分の中ですごく反発する感情が生まれる事柄というのは、
自分の中に強い観念(思い込み)があったり、図星だけど認めたくなくて反発したくなる気持ちだということに気づきました。
「常識的におかしい」「常識的じゃない」
わたしはこの言葉に必要以上にいつも引っかかっているので、ここにきっと「観念」があるのです。
「常識がない人」だとは他人から思われたくない、という観念と
「常識と言ってあなたたちのやり方に縛り付けられたら、あなたたちと同じように成功できないんだよ」という観念。
この二つが、いつも二律背反。矛盾を抱えて、わたしの中でくすぶっていたんでしょうね。
それに気づいてから、
「じゃあ、わたしがスタンダードになる時代がやってくる!」と思うことにして、自分の考え方を外に発信していくことにしたんです。
それから年月は多少かかりましたが、わたしは社内で新しいことに挑戦する役割を与えられ、
「やっと、○○さん(わたし)の時代が来たね」
「ようやく時代が君に追いついたね」
と言っていただけるようになりました。
今でもネタとして「○○はほら、アメリカ人だから」とか「出た、宇宙人」とか言われることもありますが、反発心はそれほどわきません。
それどころか、「革新的」と自分の中で勝手に変換して、「ありがとうございます!」と褒められた気分になっています。笑
多少、角が取れて丸くなっているとは思いますが、
わたし自身は入社当初から同じようなこと言い続けていると思います。
でも、それを受け取る側は年月とともに、時代の変化とともに、受容できるようになってきているので、同じ発言をしても結びつく結果が違ってきたのです。
あのころ、ムラ組織的な会社の中にある「常識」に、自分の価値観を無理やり変えていたら、わたしはきっと自分のことを嫌いになってしまっていたと思います。
そして、自分がくすぶっている理由を、そんな「常識」を強要してきた会社の人たちや、大人たちのせいにしてしまっていたと思います。
自分の人生を自分で決めていく、ということは、自分の人生の責任を他人のせいにしないすべて自分で負うということです。
誰かの決めた「常識」にしたがって判断したり、さらに言えば、誰かのイメージする「常識的な(≒一般的な)」社員を演じていたりすると、それがあなたの人生のすべてになります。
本当のあなたはもっと違う理想的な自分になりたいと願っているかもしれない。でも、日常生活を送っていく中で、誰かのイメージする「常識的な(≒一般的な)」社員を演じているうちに、それがあなたの人生のすべてになってしまうんです。
そんな人生の決め方でいいんでしょうか?
あなたはあなただけの常識を生きる。あなたがスタンダードになっていけばいい。
あなたが「自分の人生は自分で決める」と覚悟すれば、時代は必ずあなたに追いついてきますよ!
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